雲ひとつない澄み切った空は、どこまでも、果てしない旅を続けてる。

 その中をゆく鳥になって、ただひたすらに前へと足を運ぼう。



 さあ、風を切って。怖がることなんて何も無い。

 駆け抜けるんだ。目の前に広がる、美しい世界を。





 9.The first flying lesson【Toward the blue sky of whether to overlook】





 グリフィンドール生も、スリザリン生も、全員が言われた通り箒の横に立った。

 飛行術担当のマダム・フーチは腰に手を当てて皆を見回した。

「行動が遅い! 早く飛びたいならばその時間を確保できるよう努力しなさい。

さあ、早速授業を始めましょう」

 マダム・フーチはきびきびと早口でそう言った。

 自然と皆の姿勢が正される。

 箒を怖がっていたピーターなどは、飛ぶより前に、先生に恐れをなしたようだ。

 リリーはの隣で緊張した顔で箒を見つめていた。

 はその肩を軽く叩く。

 にっこりと笑いかけた。



「右手を箒の上に出して、上がれ! と言う!」

 説明を聞いて、全員が大声で「上がれ!」と言った。

 一発で箒を上げたのは、ジェームズ、シリウスの四人だけ。

 いや、四人もと言ったほうがいいだろうか。

 リリーの箒は、彼女の震える声に呼応して一瞬震えたが、それ以外の動きは見せなかった。

 ピーターの箒など、ピクリとも動かない。

「リリー、落ち着いて。まだ飛ぶ訳じゃないし、ね?」

 の励ましに、リリーは硬い表情のまま無言で頷く。

 その隣ではピーターが、ジェームズから助言を受けていた。

 手持ち無沙汰に眺めるシリウスの袖が引かれた。

「ねぇ、シリウス」

「ん?」

 袖を引いたのはで、彼は少し遠い所に視線をやっていた。

「あのさ、リーマスが・・・」

「リーマス? どうかしたか?」

「ん・・・なんか、大丈夫かなって」

 言われての視線の先を辿ると、蒼白な顔色のリーマスが見えた。

 思わず眉を顰める。

「あれはなんつーか・・・大丈夫とか、そういう問題は既に通り越してるように思えるよな・・・」

 は心配そうに頷いた。

「そこ! 今は私語を慎む!」

 マダム・フーチのお叱りが飛んだ。

 二人は肩を竦め、少し離れた。

 の肩の上でカレッジが欠伸をする。

「何もなけりゃいいけど」

「うん・・・」

 リリーとの歓声が聞こえた。

 どうやらリリーの箒が上がったようだ。





 皆が少し箒に慣れてきた頃、マダム・フーチは軽く手を叩いた。

「それでは各寮二人ずつ、計四人であそこのゴールポストまで競争してもらいます。

勿論、ゴールまで行ったら折り返してここに戻ってくること! いいですね?」

「あんな高いところ・・・」

「わぁ、楽しそう・・・!」

 遥か彼方のゴールポストを見上げ、リリーはとても嫌そうに、はとても嬉しそうに声を上げた。

 二人は気付かなかったのだが、この時周りは恐ろしいまでに闘争心を燃やしていた。

 この二つの寮で「競争」と言ったら、それはもう「戦争」に等しい言葉なのだ。

 特に、今のスリザリン寮は「打倒シリウス・ブラック」に燃えている。
 それはそれは恐ろしいほどの迫力だった。



 マダム・フーチが羊皮紙の名前を読み上げる。

 いつものメンバーの中で最初に呼ばれたのは、シリウスとリリーだった。

、どうしよう!」

 慌てるリリーをからかうように、は笑う。

「戻ってくる時には、楽しかったって言うと思うよ」

「嘘! 絶対言わないわ。」

 そう言って、リリーはシリウスの横に並んだ。

 なんだかんだ言いながら潔いのが彼女のいいところだ。

 シリウスはさり気なくリリーをスリザリン側から遠ざける。

 並んだ四人は箒に跨った。

「笛が鳴ったらスタートして! さん、に、いち・・・」

 甲高く鳴り響く笛の音。

 周囲の声援の中、一斉に地面を蹴る。





 リリーは、先ほどまで怯えていた自分が馬鹿らしくなってしまった。

 が言っていた通り、凄く、凄く楽しい。

 地上ではふんわりと通り過ぎていった風も、今は耳元で轟々と音を立てる。

 頬に触れるのは柔らかな生易しいものではなく、鋭く刺さるような風だ。

 しかしリリーがそれに嫌悪感を抱くことは無かった。

 自分が、自然そのものに巻き込まれているようでとても嬉しかったのだ。

 大きな理に、組み込まれる瞬間―――

 世界のざわめきに、巻き込まれる瞬間―――

 流れる景色は、走っているよりもとても速くて。

 たくさんの色が混ざり合い、連なった。

 それは鮮やかな帯のようで、今までに見たことのない綺麗な風景だった。





 心配していたリリーも、後ろのほうで何とか様になっている。

 シリウスは出せるだけスピードを出した。

 学校の箒は恐ろしいほど古くてぼろぼろだ。大した速度は出ない。

 それでも、地面を駆けるのとは大違い。

 この爽快感は堪らない。

 一年生がクィディッチの選手になれないなんて、結構酷いと思う。

 爽快感に加えて、あの興奮を体感させてもらえないなんて。

―――箒さえ持って来れればな・・・もう遅いけど。―――

 地上を前に、シリウスはぼんやりとそう思った。



 しなやかな飛び様。

 他の三人を引き離しトップでゴールした彼は、地上でジェームズとタッチを交わす。

 その光景に女生徒が赤面し、歓声を上げている。

 シリウスから遅れること数十秒、リリーが地上に戻ってきた。

 駆け寄って、は小首を傾げる。

「どうだった? 楽しかったでしょ?」

 リリーは箒から降りると、苦笑した。

「残念だけどね・・・負けたわ、。すっごく面白かった」

 満足そうに頷いて、はぐっと伸びをした。

「快感だよね、あー早く飛びたい!」

 そんなを見て、リリーは声を上げて笑ってしまった。





 何グループかが過ぎ、次はジェームズとピーターが出る順番になった。

 リリーが一生懸命励ましていたのだが、それはピーターにとって逆効果だったようだ。

 彼女から上空での感想を聞けば聞くほど泣きそうな顔になっていく。

 の肩の上で、カレッジがフッと笑った。

「青いな」

 軽く顔を向け、は冷静に告げた。

「カレッジ、今ちょっと親父臭かったよ」

「う・・・」





 箒に跨ったジェームズの顔はとても凛々しく、同姓のから見ても格好いいと思えた。

 自信に満ちている、とでも言うのだろうか。

 迷うことがなく、見ている側を圧倒させる瞳の強さで、彼は上空を見つめている。

 笛が鳴り、飛び立った時のジェームズは、いつになく活き活きしていた。



 誰もがその姿に見惚れてしまう。

 スリザリン生も、思わず自分の寮生を応援するのを忘れてしまった。

 速い。

 それだけではない。

 ターンひとつ取っても、他とは比べ物にならないほど巧い。

 その上、「この競争を下で見ている人が居る」ということを、彼はしっかり理解している。

 宙返りなど、数々のパフォーマンスも加えている。

 それなのに、タイムはシリウスよりも速かった。



 ジェームズが箒から降りた時、誰からともなく拍手が沸き起こった。

 シリウスはこれでもか! とばかりに彼の髪を掻き回す。

 そんな大歓声のなか、ジェームズから三分ほど遅れてピーターが地に辿り着いた。

 降りる時に石に躓いて転んでしまったのを除けば、特に問題なく降り立ったと言えよう。

 ピーターの視界に、白い手が差し出された。

 ふっと顔を上げると、そこには青白い顔のリーマスが居た。

「・・・へ・・・?」

 思わず変な声を出してしまう。

 リーマスも、ピーターの声を聞いてようやく、自分が何をしているか気付いたようだ。

「あ・・・」

 自らの行動に驚いたように小さな声を漏らした。

 さっと手を引っ込め、くるりと後ろを向いてしまう。

「え、リーマス?」

 呆然としていると、マダム・フーチが次の人の名前を呼んだのが聞こえた。

 とセブルスが、その中に入っている。

 ピーターは立ち上がった。

「あの・・・リーマス、ありがとう」

 彼は動かない。





 ジェームズとシリウスにいろいろなことを忠告され、カレッジに激励され、は箒を構えた。

 隣にセブルスが並ぶ。

 後ろで二人がぎゃーぎゃー言っているのが聞こえるが、この際それは無視する。

 先ほど言われた忠告「其の二」も、都合よく無視させていただこう。

「さっきはジェームズ達がごめんね。あの二人、喧嘩っ早くて・・・」

 いきなり先程の非礼を詫びる。

 セブルスは一瞬、訳が分からなかったようだ。

 が、すぐに意味を理解する。

「ああ・・・別に、お前が謝ることじゃない」

 は不思議そうな顔をした。

 正直、彼から返答が得られるとは思っていなかった。

 知らん顔をされるか、睨まれるだけだと思っていたのに。

 呆けているのも失礼だと思ったので、取り敢えず微笑んでおく。

「そう? でも、僕の友達がしたことだったから。

それに、スネイプにも二人を嫌ってほしくなかったからね」

 そう言うと、セブルスは顔を背けた。

 小さな声で、しかし囁く。

「・・・セブルスでいい」

「?」

 は目を瞬く。

 ちょうど笛が鳴ったので、話は打ち切られてしまった。

 飛びながら、は前に居るセブルスを見つめた。



―――彼、本当は・・・―――







 やセブルスも終わり、今か今かと、は自分が呼ばれるのを心待ちにしていた。

 ようやくその気持ちが分かったリリーも、一緒になって待ちわびる。

 それに、がどんな飛び方をするのか、とても気になっていた。

、・・・」

「「呼ばれた!」」

 二人は同時に小さな歓声を上げる。

 にっと笑ってリリーに手を振る。

「行ってくるねっ」

 の隣に並んだのは、リーマスだった。

 相変わらず青白い顔をしている。

 少し心配だが、きっと大丈夫だろう。

 は彼に向かって小首を傾げた

「お互いがんばろうね。えっと・・・リーマス?」

 相手が顔を上げたのを確認し、微笑みかける。

「湖を渡るとき、助けてくれたよね? 嬉しかったよ。

どうもありがとう。あたし、

 名前を告げると、リーマスが固まった。

 すぐに俯いてしまう。

 は、その直前に彼が躊躇ったのを見逃さなかった。

 その表情も。

 そして確信した。

―――本当は、友達が欲しくてたまらないのだと





 笛の合図と共に、は空へ向かった。

 地面を蹴った瞬間、彼女の体は重力から解放されたかのように軽くなる。

 競争なんて、もうどうでもいい。

 楽しい。

 空は好きだ。

 自分を縛り付ける全てのものから解き放たれる瞬間。

 悩みも、痛みも、迷いも、何もない。

 前進することを阻むものは、何もない。

「無」に等しいこの場所。

 安心できる、唯一の「時」。



 ターンを目前にして、彼女は少しだけ目を瞑った。



―――・・・絡み取らないで・・・―――



 運命に、願う。





 このまま行けば、ジェームズの最速記録を塗り替えるかもしれない。

 そんなの飛び方は、とてもしなやかで、速い。

 しかし独特な感じが漂っている。

 力強く、優雅で、そしてそう、自由で。

 よく見かけるような飛び方。

 あれはまさに―――鳥だ。



 ほとんど全員、に注目していた。

 突然、スリザリンのほうで暴言が聞こえる。

 喧嘩か? と、何人かが視線を移した。

 どうやら片一方がもう片方に下手だのなんだの言ったらしい。

 呆れた顔のマダム・フーチが、溜め息をつきながら事態を収拾しに行った。

 リリーは、それにも気付かずを見つめていた。

 彼女が飛ぶと、自分が飛んでいた時よりももっと楽しそうに見える。

 飛ぶ、という同じ動作でも、自分はああも楽しそうには飛べないだろうと思った。

 だんだんと地上に近付いてくる。

 どういう感想で彼女を迎えようか。

 わくわくした気持ちで、リリーはふと、の後方に目を移した。



 は、違和感を感じた。

 何か、嫌な予感がする。

 地面まではあと少し。

 着陸時に怪我をしそう? そうではない。

 自分ではない。何か、別のもの。

 地上を見たとき、リリーのはっとした顔が目に入った。

 一瞬、考えを巡らせ、彼女は一つの可能性に思い当たる。

 激しく後悔した。



 さっき、どうして止めなかったのだろう・・・。



 は地面直前で勢いよく箒を上向きに引き上げた。





 目を移し見たものは、折り返し地点のゴールポスト付近に漂う、リーマスの姿だった。

 明らかに、おかしい。

 目を細めて、よく見ようと努めた。

 そうこうしているうちに、彼は箒ごとコースから外れていく。

「え・・・?」

 リリーの胸に不安がよぎった。

 森の方へふらふらと飛んでいくリーマス。

 高度を上げる彼とは対照的に、はあと少しで着陸だ。

 しかし次の瞬間、リリーは彼女を迎える言葉のことなど、すっかり忘れてしまった。



 リーマスの体が―――箒から落ちた。



「リーマス!!」

 リリーが悲鳴を上げたのと、が箒を引き上げたのは、同時だった。





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